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預言者ジョセフは知っていた
ヨセフが子供の頃のある夜、彼は素晴らしい夢を見ました。 彼は11の星、太陽と月がおじぎをするのを見ることを夢見ていた。 彼が目を覚ましたとき、彼はすぐに父親のところへ行き、預言者ヤクブ・アライヒサラムは彼の夢を話しました。 彼の父親はすぐに彼の領土を理解しました、そしてそれは彼の息子に大いに起こるであろうことを。 それで彼の父親はすぐにジョセフに、サタンが彼らの関係を破壊し、神の賜物のために彼によって決定されることを彼の兄弟に彼の夢を話さないように思い出させました。 ジョセフは父親の忠告に従います。
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ジョセフの兄弟はヨセフにひどく意図した
預言者Ya’qub ‘alaihissalamはジョセフをとても愛しており、兄弟たちは彼を嫉妬した。彼らはまた、ヨセフが父親から遠ざけられ、愛が彼らに向けられるように、彼に反逆をするために集まりました。
そのうちの1人は、ユスフを殺すか遠くに投げ捨てて、父親の注意が彼らにだけ注がれるように提案しました。その後、アッラーのスバナフワタアラに悔い改めましたが、ユスフを殺すという提案を拒否した人もいました。ジョセフを遠く離れた井戸に入れて、後のキャラバンが見つかるようにして、彼らはそれを取って売ることを提案しました。この提案は良いと考えられ、受け入れられていることがわかりました。したがって、彼らの合意の結論は、ジョセフは追放され、彼らの真ん中に立たされるべきではないということでした。
彼らがどのように彼らの計画をうまく実行できるかについて考え始めます。その後、彼らは道を見つけました。彼らはまた彼らの父親のところに来て言った、「私たちの父よ、ヨセフに私たちを信頼しないのはなぜですか。明日の朝、彼と一緒に行かせてください。そうすれば、彼は(楽しんで)遊んだり、遊んだりできます(実際、私たちは間違いなく彼の面倒を見るでしょう)。」
預言者ヤクブは言った、「ジョセフとのあなたの出発は本当に私にとって非常に悲しく、あなたが彼に不注意になる間、彼がオオカミに食べられるのではないかと心配しています。」
彼らが答えた、「もし彼がオオカミに本当に食べられたら、私達は(強い)グループです、実際私達はその時敗者です。」 (スラ・ユスフ:11-14)
ユスフは井戸に入れました
それで彼らは朝、山羊を世話しながらジョセフを砂漠に連れて行きました。彼らは父親から遠く離れた後、計画を実行し始め、井戸に達するまで歩いてから、ジョセフのシャツを脱いでジョセフをそれに投げ込みました。その時、神はジョセフに明らかにされました、「彼らがもう覚えていない間に、あなたは彼らに彼らの行動を言うでしょう。」 (スラ・ユスフ:15)
彼らがヨセフを井戸に入れた後、父親がジョセフについて尋ねたとき、彼らは父親の前で彼らが何を言うかについてもう一度考えました、最終的に彼らは狼がそれを食べたと言うことに同意し、彼らの声明を強化するために、彼らは虐殺しましたヤギの血をジョセフの服に塗ります。
夕方、彼らは家に帰り、泣き顔で父親を見た。預言者ヤクブが彼らを見て、ジョセフが彼らの真ん中にいないことがわかり、彼らは嘘をついて、彼らがレースに行き、ヨセフを自分の持ち物の近くに置いたとき、ジョセフは狼に食べられたと言いました。次に彼らは彼らの声明を補強するために血に覆われたローブを取り出した。
しかし、預言者のヤクブは、彼らがそれを引き裂くのを忘れていたので、引き裂かれていない状態で彼のローブを見て、それから、ヤクブは彼らに言った、「このオオカミは奇妙なのです。それでヤクブは彼らに彼らの嘘を説明して言った、「実際には良い(悪い)行為を見るのはあなたです。その後、忍耐は良いです(それは私の忍耐です)。アッラーだけがあなたの言うことに対して彼の助けを求めています。」 (スラ・ユスフ:18)
ジョセフは井戸から追放され、エジプトに連れて来られました
ジョセフに関しては、誰かが彼を助けるのを待つ間、彼は井戸にとどまりました。彼がそのような状況にあったとき、突然キャラバンがエジプトにやって来ました、そして彼らは彼らの規定に加えたいと思いました、そして彼らは水を持ってくるために井戸にそれらの1つを送りました。体重計を下げたとき、ジョセフは彼に頼りました、そして、男は井戸の内容を見ました、どうやら彼はハンサムな若い男が彼をつかんでいるのを見ました。この男は幸せで他の友人たちに話しました、そして彼らはジョセフを連れ出し、彼を連れてエジプトに売りに行きました。
ある日、アルアジズは子供がいなかったので、自分で子供を買うために市場を回りました。それから、隊商は彼にジョセフを提供しました、そして、アル・アジズ王はいくつかのディルハムのためにそれを買いました。
それからアル・アジズは子供を買って喜んで彼の妻に戻りました。彼はまた妻に子供を美化し、彼のために良いことをするように言いました、多分彼は両方のために役立つかもしれないか養子にされるかもしれません。このようにアッラーは地上でジョセフに権力を与えたので、彼はアル・アジズとその思いやりの同情の下で生きました。
アルアジズの妻がジョセフをからかう
時が経ち、ジョセフは年をとるにつれて、強くてとてもハンサムな若者として育ちました。アルアジズの妻は常にユスフを毎日見ていて、彼に惹かれていました。彼は兆候とほのめかしを通して彼の喜びを示し始めましたが、ジョセフは彼に背を向け、気にしませんでした。そのため、この女性はジョセフを誘惑する方法を考え始めました。
ある日、夫が宮殿を去ったとき、妻はその機会を利用して、美しい服を着て着飾って家のドアを閉め、ジョセフを部屋に招き、彼と一緒に凶悪な行為をするように頼みました。
しかし、預言者ジョセフ-平和は「イファ(自分を守る)と彼の招待の神聖な拒絶」の性質で彼にかかっています、と私はアッラーに避難しました、確かに私の主人は私を上手に扱いました。確かに不正行為者は幸運にはならないだろう」と語った。 (スラ・ユスフ:23)
それからユスフはすぐにその場所から出ようとしましたが、アルアジズの妻は機会を無駄にしませんでした。彼はすぐにジョセフを後ろから引っ張って外に出るのを止め、破れるまでローブを抱えました。突然、彼女の夫、アルアジズ(エジプトの大臣)が帰国し、雰囲気はますます批判的になり、アルアジズの妻はすぐに彼女の夫の前でその危機的な状態から脱出し、ヨセフが裏切り者であったと非難し、彼を誤解させようとしたと彼は彼女の夫に言った、 「投獄されたり、(罰せられて)痛い罰を受けたりする以外に、あなたの妻と不正な行動をとろうとする人に対する報復はありますか?」 (スラ・ユスフ:25)
この非難に対して、預言者ユスフはすぐに弁護し、「私を誘惑したのは彼だ」と言いました。
それで、彼女の夫は彼女の家族の1人に和解を求めました、そして家族はためらうことなく言った、「見て!ローブが前で引き裂かれた場合、女性は正しく、ジョセフはうそをつく人の中にいます。そして、ローブが後ろで引き裂かれた場合、その女性はうそをついている人であり、ジョセフは義人の一人です。」 (スラ・ユスフ:26-27)
それから彼女の夫は彼の妻の方を向いて彼女に言いました、「非常に(事件は)あなたの欺瞞の中にあり、実際あなたの欺瞞は素晴らしいです。」 (スラ・ユスフ:28)
次にアル・アジズはユスフにこの問題を一人にして誰かの前で話し合わないように頼み、そして夫は妻に彼の罪と罪の罪を許すように頼みました。
エジプト人は彫像を崇拝しましたが、アッラースバナフワタアラだけが許し、拷問できることを知っていました。したがって、アルアジズは妻にアラースバナフワタアラに許しを求めるように言いました。
アルアジズの妻の招待でエジプトの女性の集まり
すべての当事者もこの問題を隠すことで合意しましたが、アルアジズの妻がジョセフに誘惑されたというニュースが宮殿で広まり、市の女性たちもそれについて話し合ったことがわかりました。つまり、アルアジズの妻が僕、すなわちジョセフをからかっていたということです。
アルアジズの妻は怒るまで状況を知り、彼女のことを話している女性に彼女の行動の理由を示したいと思いました、そして、彼女をそうさせたのはジョセフの見栄えでした。
それで、アルアジズの妻は彼に女性を招待しました、そして、彼は彼らのために特別な場所を準備しました、そして、彼は彼らにそれぞれナイフと彼らの果物を与えました、それからアルアジズの妻はジョセフに出てくるように言いました。
ジョセフは雇い主の命令に従って出てきたので、女性が彼を見たとき、彼らは皆、彼の見栄えに魅了され、無意識のうちに彼らがジョセフは天使であると思ったほどにナイフで手を切りました。アルアジズの妻も言った。「それはあなたが私を彼に惹かれた(引き付けられた)と非難した人であり、実際私は彼に(私に)自分を提出するように誘惑しましたが、彼は拒否しました。実際、もし彼が私が彼に命じた事柄に彼が従わなかったら、確かに彼は投獄され、彼は軽蔑する人々の中にいるだろう。」 (スラ・ユスフ:32)
ジョセフは刑務所で選びました
それで女性たちはアル・アジズの妻の理由を受け入れました、そしてジョセフがそのような状況を見たとき彼は祈りました、「私の主よ、私への彼らの招待を果たすよりも刑務所を好む。そして、あなたが私を彼らの欺瞞から避けられないなら、もちろん私は(彼らの欲望を満たす)傾向があり、そしてもちろん私は愚か者の一人です。」 (スラ・ユスフ:33)
ジョセフに対する女性の愛情のためにメディナではほとんど中傷があり、当局はジョセフが特定の時期まで投獄される必要があることを知りました。
彼らはまた、ジョセフを投獄し、ジョセフはしばらくの間刑務所に留まりました。そして、彼と一緒に刑務所に行った2人もいました。1人はパン屋として、もう1人は王の酒飲みでした。二人とも、預言者ジョセフの高貴な性格と、ジョセフに来て、彼の本の中でアッラーが述べたように、ジョセフに2番目の夢を語ったという驚くべき崇拝を見ました。 」そしてもう一人は言った、「実際、私は頭にパンを運ぶことを夢見ていました。鳥の一部が食べるものもありました」。私たちに信仰を与えてください。実際、私たちはあなたを賢い人と見ています(夢を見る)。」 (コーラン、ジョセフ:36)
それで預言者ジョセフは彼の2番目の夢を抱きましたが、その前に、預言者ジョセフはアッラーのスバナフワタアラを信じ、彼を崇拝し、何も関連付けないように彼らを招待しました。さらに、彼は2人が夢を描き、2人が刑務所から出て、王に水を与える前と同じように仕事に戻り、もう1人は十字架につけられ、鳥が頭を食べることを想像します。
酒飲みが刑務所から釈放される前に、預言者ジョセフは彼に自分の問題を無実であり、刑務所から追放されるように彼に不当な刑が宣告されたと王に彼の問題を伝えるように頼みましたそのため、ジョセフは数年間刑務所に留まりました。その後時間が経過し、ヨセフが二人を恐れたことが起こりました。
夢の王
ある日、王様は眠り、7頭の痩せた牛、7頭の緑色の耳(小麦)と他の7頭の乾燥した牛に食べられる太った牛を見ることを夢見ていたので、王様は驚いた状態ですぐに目を覚ましたすぐにリーダーを集めて彼の夢を伝え、彼らに夢の地域を思い描くように頼みましたが、彼ら全員は不可能でした。彼らはまた、「それらは空の夢であり、私たちはそれらを夢見ることについて知らない」と言って、彼によって心配されないように王を夢から遠ざけようとしました。 (スラ・ユスフ:44)
それにもかかわらず、王様は夢に不安を抱き続け、夢の目的を突き止めようとし続けました。ついに、王様の飲み物提供者は預言者ジョセフを思い出し、王様に刑務所に行ってジョセフに会うように頼みました。それから彼は預言者ユスフに王の夢を夢見て、それからヨセフを自分の領土に夢見るように頼んだのは、太った牛と七つの耳が七年であり、その年は善と祝福に満ちていたからです。
預言者ユスフ・アライヒサラムは夢を宣言するだけでなく、夢を克服するための最良の方法を提供しました。つまり、彼らは作物を保存して、アッラーが畑を開くまで少し食べることを除いて、穀物を穀物に残さなければなりませんでした。
王の酒飲みが自分の領土を知ったとき、彼はすぐに王に戻り、ジョセフが彼に言ったことを説教したので、王は大喜びしました、そして王は夢を抱いた人について尋ねました、そして王の飲み物提供者は彼にジョセフに言いました。答えを聞いて、王はすぐにジョセフが彼の前に連れて来るように頼みました。その後、王の使者はすぐにジョセフに会い、ジョセフに会うようにとの王の招待に従うように言いましたが、ヨセフは清潔で無罪になるまで彼に会うことを拒否し、そのため王は市内の女性に何が起こったのかを知っていました。
ジョセフは刑務所から釈放され、エジプトの役人になりました
そこで王はメッセンジャーを派遣してアルザジスの妻や他の女性に会い、ジョセフの問題について尋ね、彼らはまた彼らの不正行為を認め、悔い改めを宣言し、「神に栄光があって、私たちは彼から悪いことは何も知りません」と言いました。
アル・アジズの妻も人間の前でジョセフの清潔さを説明しました。
ユスフは彼の兄弟に会います
その時、王は彼に向けられた非難からジョセフのクリーンな命令を出し、彼を刑務所から解放するように命じ、彼はまたジョセフを称賛し、彼に近づけました、そして王は彼に彼が望むポジションを選ぶ選択肢を与えたので、ジョセフは言った、「私を会計係にしてくださいエジプトの国。本当に私は、維持と知識に長けている人です。」 (スラ・ユスフ:55)
王はまた、彼の権限と知識のためにジョセフの要求に同意しました。
さらに、ヨセフが基本的な食料を人々に配布している最中に、ヨセフは自分の言語、肉体、名前の両方を認識した人々と突然会いました。これらの人々は事前にそれに気づかずに突然やって来ました、そして、彼らが彼の兄弟であることがわかりました。彼の父の子供たち。預言者Ya’qub ‘alaihissalam。ジョセフはそれらを認識しましたが、彼らはもはや彼を知りませんでした。彼らはヨセフが幼い頃にヨセフを井戸に投げ込んだ人たちでしたが、今では彼らは食物を必要とするので来ます。ヨセフはまた彼らに良いことをしました、そして彼らはまた彼によくバミューダ諸島をしました。次に、ジョセフは彼らの在り方と数を尋ねたところ、彼らは12人いると言いました。そのうちの1人は残っており、父親が彼を愛していて離さなかったので、父親と一緒にいた兄弟がまだ残っています。
ジョセフが彼らのために食べ物を用意した後、それぞれがラクダの重さの大きさを得た後、ジョセフは言った、「あなたと同じ兄弟(ブニャミン)を私に持ってきてください。持っていかないと、それ以上測定されず、近くに来られません。」 (スラ・ユスフ:59-60)
ジョセフの兄弟たちは、「私たちは彼の父親に彼を連れてきてくれるよう説得します(実際には私たちは本当にそれを実行します」と語った。)
次に、ヨセフは自分たちの持ち物(交換機)を袋に入れるように使用人に命じました。そうすることで、家族に戻ったとき、つまりアイテムをエジプトに返すか、ジョセフが後で手に入れられないのではないかと心配したためです。もう一度交換するもの。ジョセフは彼らが再び彼に戻るようにこれをしました。
それからジョセフの兄弟たちは彼らの父親のところに戻って言った、「私たちの父よ、私たちはこれ以上(小麦)の測定値を取得しません(私たちが兄弟を連れてこない場合)。そして実際、私たちは本当にそれを管理します。」
しかし、預言者ジェイコブはそれを拒否し、それからジョセフの兄弟たちは荷物の中身を取り出すために自分のものに行きましたが、彼らは交換の手段として作った古い品物にショックを受けたので、彼らの父親は荷物が返却されたと言いました、そして彼らはすぐに父親に食物を手に入れるときの家族のための利点について言及するように促しました。彼らはまた、兄弟のブニヤミンの世話をするためにアザムを強化しました。ジョセフは一人一人にラクダの重さの大きさを与えたので、彼らはまた、父親たちに兄弟の投薬量を増やすように熱心に働きかけました。
それで彼らの父は言った、「あなたが神の名においてしっかりと約束する前に、あなたが敵に囲まれていない限り、あなたがそれを確実に私に戻すことをあなたと一緒に手放すことは決してないでしょう。」
ジョセフの兄弟はエジプトに戻ります
彼らが約束をした後、ヤクブは言った、「アッラーは私たちが言うことの証人です(これ)」。
預言者ヤクブはまた、「子供たちよ!一つの門から一緒に入るのではなく、別の門から入るのです。それにもかかわらず、私はアッラーの(運命)からほんのわずかなことをあなたに解放することはできません。 (何か)を設定する決定は、神の権利のみです。彼に私はそれを信頼し、降伏した者だけに降伏させます。」
そこで、ジョセフの兄弟たちはエジプトに行き、父親のアドバイスに従って門に入ったので、彼らの見た目が良かったり、ジョセフについてのニュースを得たりするためにカレナアイン(目の病気)に打たれないようにしました。さらに、彼らがジョセフの前にいたとき、ジョセフは彼の末っ子(ブニャミン)を招待し、彼を近づけ、彼と一緒に話し、彼がジョセフであると彼に話しました。彼の兄弟。
兄弟が一緒にいるためのジョセフの戦略
さらに、ジョセフの兄弟たちが家に持ち帰るために、物資が用意されていたので、突然ジョセフは兄と一緒にいたいと思ったので、ジョセフは召使いに、カップ(飲料水)を兄の袋に入れるように言いました。それから誰かが叫んだ、「Oキャラバン、実はあなたが盗んだのはあなただ」。
それからジョセフの兄弟はすぐに足りないものを尋ねました、そして叫んだ男は王の杯が欠けていてそして王はラクダの食物(重い)負担の形で賃金を支払うことを約束したと彼に言いました。しかし、ジョセフの兄弟は告発を受け入れなかったので、ジョセフとの深い対話が現れました、彼らは泥棒ではなく、彼らはそれに誓うでしょう、そして警備員は言った、「あなたが嘘をついたら報酬は何ですか?」
彼らは答えた、「返事は彼の袋に誰が(失われた)発見されたので、彼自身が返信します(身代金)」。
預言者Ya’qub ‘alaihissalamのShari’aによれば、誰が盗んだとしても、その盗人は盗まれた人のために1年間奴隷にされたということです。
ヨセフはその判決がイスラエルの子どもたちのシャリアに当てはまる判決であることを知っていたため、その判決を受け入れ、エジプトで課された判決には従わず、兄弟たちはその判決に同意したので、ジョセフは警備員に袋の検査を命じました-自分の兄弟の袋の前に(チェック)袋を入れた後、兄弟の袋から王の杯を見つけた。
彼ら(ジョセフの兄弟)はまた、「もし彼が盗むなら、実際、彼はその前に彼の兄弟も盗んだ」とも述べた。それで、ジョセフは苛立ちを自分から隠し、彼らに見せませんでした。彼は(あなたの心の中で)「あなたは悪い(あなたの資質)であり、アッラーはあなたが何を説明しているのか知っている」と言った。 (スラ・ユスフ:77)
それで、彼の兄弟は彼らの父への彼らの約束を思い出します、そしてそれは彼らの一番小さい兄弟「ブニャミン」を彼らの父に戻すでしょう。彼らはまたジョセフに言った、「アル・アジズ、実は彼には年老いた父親がいます。したがって、代わりに私たちの1人を選んでください。実際、私たちはあなたを善を行う者の1人と見なしています。
ジョセフは言った、「私は私たちの財産を見つけた人を除いて、人を拘留することからアッラーからの保護を求めます。 (スラ・ユスフ:78-79)。
それで彼らがジョセフの決定に絶望したとき、彼らはささやきながら話している間撤退しました。その中で最年長は言った、「あなたの父親が実際に神の名においてあなたから約束を引き受けたことを知っていませんでした。ですから、父が私を許す(帰国する)か、神が私に反対するまで、私はエジプトの国を離れません。そして、彼は最高の裁判官です。お父さんのところに戻って、「お父さんよ!確かに、あなたの息子は盗まれました、そして、私たちは私たちが知っていることだけを目撃します、そして私たちは目に見えないものを守る(知る)ことはできません。次に、父親が疑わしい場合は、「そして、私たちがそこにいる土地、そして私たちが付いてきたキャラバン、そして実際には私たちは正しい人です」を(住民に)尋ねてください。 (スラユスフ:80-82)
彼らの父親(預言者ヤクブ)は、「あなただけが良い(悪い)行為を目にしています。その後、忍耐は良いです(私の忍耐)。アッラーが私にそれらすべてをもたらすことができます。きっと彼は全知全知です」
Penyebab Senantiasa Merasa Miskin Dan Kurang Harta
Rasulullah shallallahu‘alaihi wa sallam bersabda,
لَوْ كَانَ لِابْنِ آدَمَ وَادِيَانِ مِنْ مَالٍ لاَبْتَغَى ثَالِثًا، وَلاَ يَمْلَأُ جَوْفَ ابْنِ آدَمَ إِلَّا التُّرَابُ
“Andai bani Adam memiliki dua lembah yang penuh dengan harta, maka dia akan mencari lembah yang ketiga. Dan tidak ada yang bisa memenuhi perut bani Adam kecuali tanah (yaitu kematian)” (HR. Bukhari no.6436 dan Muslim no.1048).
Terkadang, betapapun banyak yang Allah berikan, masih saja seseorang merasa miskin dan kurang. Sehingga hidupnya tidak pernah bahagian karena terkungkung oleh perasaannya yang senantiasa merasa kurang.
Maka, mari kita kenali sebab-sebab seseorang senantiasa merasa miskin dan merasa kurang, semoga kita bisa merenungkan dan mengambil faedah darinya.
Seseorang akan terus merasa miskin dan kurang ketika:
1. Karena tujuan hidup dan ambisi terbesarnya masih mencari dunia, bukan akhirat
Orang yang ambisi terbesarnya adalah dunia, Allah jadikan kefakiran di depan matanya, ia merasa miskin terus. Rasulullah Shallallahu’alaihi Wasallam bersabda:
مَنْ كَانَتِ الدُّنْيَا هَمَّهُ ، فَرَّقَ اللهُ عَلَيْهِ أَمْرَهُ ، وَجَعَلَ فَقْرَهُ بَيْنَ عَيْنَيْهِ ِ، وَلَمْ يَأْتِهِ مِنَ الدُّنْيَا إِلَّا مَا كُتِبَ لَهُ ، وَمَنْ كَانَتِ الْآخِرَةُ نِيَّـتَهُ ، جَمَعَ اللهُ أَمْرَهُ ، وَجَعَلَ غِنَاهُ فِيْ قَلْبِهِ ، وَأَتَتْهُ الدُّنْيَا وَهِيَ رَاغِمَةٌ.
“Barangsiapa ambisi terbesarnya adalah dunia, maka Allah akan cerai-beraikan urusannya, Allah jadikan kefaqiran di depan matanya, dan ia tidak mendapatkan dunia kecuali sesuai apa yang telah ditetapkan baginya. Barangsiapa yang ambisi terbesarnya adalah akhirat, Allah akan memudahkan urusannya, Allah jadikan kekayaan di hatinya, dan dunia akan mendatanginya dalam ia tidak menyangkanya” (HR. Ahmad, dishahihkan Al Albani dalam Ash Shahihah no. 950).
Ibnul Qayyim rahimahullah mengatakan:
محب الدنيا لا ينفك من ثلاث : هم لازم و تعب دائم و حسرة لا تنقضي
“pecinta dunia tidak lepas dari 3 hal: kegalauan yang terus-menerus, keletihan yang terus-menerus, dan kekecewaan yang tiada berakhir” (Ighatsatul Lahafan, 1/37).
2. Karena jahil terhadap ilmu agama
Ilmu membuat pemiliknya jauh dari cinta dunia, dan sadar bahwa akhirat adalah tujuan. Allah Ta’ala mengisahkan tentang Qarun:
فَخَرَجَ عَلَى قَوْمِهِ فِي زِينَتِهِ قَالَ الَّذِينَ يُرِيدُونَ الْحَيَاةَ الدُّنْيَا يَا لَيْتَ لَنَا مِثْلَ مَا أُوتِيَ قَارُونُ إِنَّهُ لَذُو حَظٍّ عَظِيمٍ وَقَالَ الَّذِينَ أُوتُوا الْعِلْمَ وَيْلَكُمْ ثَوَابُ اللَّهِ خَيْرٌ لِمَنْ آمَنَ وَعَمِلَ صَالِحًا وَلَا يُلَقَّاهَا إِلَّا الصَّابِرُونَ
“Maka keluarlah Qarun kepada kaumnya dalam kemegahannya. Berkatalah orang-orang yang menghendaki kehidupan dunia: “Moga-moga kiranya kita mempunyai seperti apa yang telah diberikan kepada Karun; sesungguhnya ia benar-benar mempunyai keberuntungan yang besar”. Berkatalah orang-orang yang dianugerahi ilmu: “Kecelakaan yang besarlah bagimu, pahala Allah adalah lebih baik bagi orang-orang yang beriman dan beramal saleh, dan tidak diperoleh pahala itu, kecuali oleh orang-orang yang sabar“” (QS. Al Qashash: 79-80).
Orang yang berilmu akan paham kekayaan hakiki bukanlah kaya harta benda, namun kekayaan hakiki adalah kaya hati. Rasulullah Shallallahu’alaihi Wasallam bersabda:
لَيْسَ الْغِنَى عَنْ كَثْرَةِ الْعَرَضِ، وَلَكِنَّ الْغِنَى غِنَى النَّفْسِ
“Bukanlah kekayaan itu adalah banyaknya harta benda, namun kekayaan yang hakiki adalah kekayaan hati” (HR. Muslim no.6446, Muslim no. 1051).
3. Karena mengikuti bisikan setan dengan melakukan maksiat dan berbuat bid’ah
Karena setanlah yang menakut-nakuti dengan kefakiran lalu menyuruh manusia berbuat maksiat, bid’ah dan kesyirikan demi untuk mencari dunia. Allah Ta’ala berfirman:
الشَّيْطَانُ يَعِدُكُمُ الْفَقْرَ وَيَأْمُرُكُمْ بِالْفَحْشَاءِ وَاللَّهُ يَعِدُكُمْ مَغْفِرَةً مِنْهُ وَفَضْلًا وَاللَّهُ وَاسِعٌ عَلِيمٌ
“Syaitan menjanjikan (menakut-nakuti) kamu dengan kemiskinan dan menyuruh kamu berbuat kejahatan (kikir); sedang Allah menjadikan untukmu ampunan daripada-Nya dan karunia. Dan Allah Maha Luas (karunia-Nya) lagi Maha Mengatahui” (QS. Al Baqarah: 268).
Orang yang terbawa oleh bisikan setan ini akan terus merasa kurang dan kurang, sehingga akhirnya ia menjalani jalan-jalan yang haram untuk mendapatkan harta.
4. Karena banyak bergaul dengan orang kaya, kurang bergaul dengan orang miskin
Orang yang banyak bergaul dengan orang-orang kaya, yang memiliki harta lebih banyak darinya, ia akan menganggap remeh nikmat Allah yang ia dapatkan. Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam bersabda:
انْظُرُوا إِلَى مَنْ أَسْفَلَ مِنْكُمْ وَلَا تَنْظُرُوا إِلَى مَنْ هُوَ فَوْقَكُمْ فَهُوَ أَجْدَرُ أَنْ لَا تَزْدَرُوا نِعْمَةَ اللَّهِ عَلَيْكُمْ
“Lihatlah orang yang berada di bawah kamu, dan jangan lihat orang yang berada di atas kamu, karena dengan begitu kamu tidak meremehkan nikmat Allah yang diberikan-Nya kepada kamu” (HR. Bukhari – Muslim).
Banyak bergaul dengan orang-orang yang miskin dan lemah akan melembutkan hati dan menjauhkan jiwa dari cinta dunia. Dari Abu Hurairah radhiallahu’anhu, ia berkata
أنَّ رجلا شكا إلى رسولِ اللهِ صلَّى اللهُ عليهِ وسلَّمَ قسوةَ قلبِه فقال له إنْ أردتَ تَليينَ قلبِكَ فأطعمِ المسكينَ وامسحْ رأسَ اليتيمِ
“Ada seorang yang mengeluhkan kerasnya hatinya kepada Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam. Maka beliau bersabda kepada orang tersebut: “Jika engkau ingin melembutkan hatimu, berilah makanan pada orang miskin dan usaplah kepala anak yatim” (HR. Ahmad, 2/ 263, dishahihkan Al Albani dalam Silsilah Ash Shahihah no. 854).
5. Kurang mensyukuri nikmat-nikmat yang kecil
Jika hal-hal kecil tidak disyukuri, maka nikmat-nikmat yang besar tidak akan disyukuri dan terus merasa kurang. Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam bersabda:
مَن لا يشكرُ القَليلَ لا يَشكرُ الكثيرَ
“Orang yang tidak mensyukuri yang sedikit, ia tidak akan bersyukur pada nikmat yang banyak” (HR. Ahmad no. 18449, dishahihkan Al Albani dalam Shahih Al Jami’ no.3014).
6. Hati yang sakit dan mati
Sehingga tidak memiliki tawakkal, husnuzhan billah, qana’ah, syukur, dan ibadah-ibadah hati lainnya. Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam bersabda kepada Abu Dzar:
أَفَتَرى قِلَّةَ المالِ هو الفقرَ ؟ . قلتُ : نعم يا رسولَ اللهِ ! قال : إنما الغنى غنى القلبِ ، و الفقرُ فقرُ القلبِ
“Apakah kalian menyangka kefakiran itu adalah kekurangan harta?”. Abu Dzar menjawab: “iya wahai Rasulullah”. Beliau bersabda: “Sesungguhnya kekayaan hakiki itulah kekayaan hati, dan kefakiran itu adalah kefakiran hati” (HR. Ibnu Hibban no.685, Al Hakim no. 7929, dishahihkan Al Albani dalam Shahih At Targhib no. 827).
Hati yang sehat akan merasakan ketenangan dan manisnya iman, tidak ada perasaan susah karena kurangnya harta. Allah Ta’ala berfirman:
هُوَ الَّذِي أَنْزَلَ السَّكِينَةَ فِي قُلُوبِ الْمُؤْمِنِينَ لِيَزْدَادُوا إِيمَانًا مَعَ إِيمَانِهِمْ وَلِلَّهِ جُنُودُ السَّمَاوَاتِ وَالْأَرْضِ وَكَانَ اللَّهُ عَلِيمًا حَكِيمًا
“Dia-lah yang telah menurunkan ketenangan ke dalam hati orang-orang mukmin supaya keimanan mereka bertambah di samping keimanan mereka (yang telah ada). Dan kepunyaan Allah-lah tentara langit dan bumi dan adalah Allah Maha mengetahui lagi Maha Bijaksana.” (QS. Al-Fath: 4).
7. Kurang ibadah
Karena Allah menjanjikan orang yang banyak beribadah akan diberikan rasa lapang di dada dan akan dicegah dari kefakiran. Rasulullah Shallallahu’alaihi Wasallam bersabda:
إِنَّ اللهَ يقولُ يا ابنَ آدمَ : تَفَرَّغْ لعبادَتِي أملأْ صدركَ غِنًى وأسُدُّ فقرَكَ ، وإِنْ لَّا تفعلْ ملأتُ يديْكَ شُغْلًا ، ولم أسُدَّ فقْرَكَ
“Allah ‘Azza wa Jalla berfirman: Wahai manusia! Habiskan waktumu untuk beribadah kepada-Ku, niscaya Aku penuhi dadamu dengan kecukupan dan akan Aku tutup kefaqiranmu. Jika engkau tidak melakukannya, maka akan Aku penuhi kedua tanganmu dengan kesibukan dan Aku tidak akan tutup kefaqiranmu’” (HR. At Tirmidzi no. 2466, dishahihkan Al Albani dalam Shahih At Tirmidzi).
Maka perbanyaklah ibadah dan ikhlaslah dalam beribadah, niscaya Allah akan berikan kecukupan.
8. Penghasilan atau pekerjaannya haram
Karena harta yang haram tidak ada keberkahan di dalamnya, semua yang didapatkan akan terasa kurang dan sedikit kebaikannya. Contohnya harta riba, Allah Ta’ala berfirman,
يَمْحَقُ اللَّهُ الرِّبَا وَيُرْبِي الصَّدَقَاتِ وَاللَّهُ لَا يُحِبُّ كُلَّ كَفَّارٍ أَثِيمٍ
“Allah menghancurkan harta riba dan menyuburkan sedekah. Dan Allah tidak menyukai setiap orang yang tetap dalam kekafiran, dan selalu berbuat dosa.” (QS. Al Baqarah [2]: 276).
Dan Rasulullah Shallallahu’alaihi Wasallam bersabda:
لا يَدْخُلُ الجنةَ لحمٌ نبت من السُّحْتِ، وكلُّ لحمِ نبت من السُّحتِ ؛ كانتِ النارُ أوْلَى به
“Tidak masuk surga, daging yang tumbuh dari harta haram. Setiap daging yang tumbuh dari harta haram, maka api neraka lebih layak baginya” (HR. Ahmad no.15284, dishahihkan Al Albani dalam Silsilah Ash Shahihah[6/214]).
9. Tidak mau bekerja dan malas
Ketika seseorang tidak mau berusaha dan malas mencari rezeki bagaimana mungkin ia lepas dari kefakiran? Maka bagi laki-laki, tidak boleh malas dan enggan bekerja. Umar radhiyallahu ‘anhu:
يا معشر القراء (أي العباد) ارفعوا رؤوسكم، ما أوضح الطريق، فاستبقوا الخيرات، ولا تكونوا كلاً على المسلمين
“Wahai para pembaca Qur’an (yaitu ahli ibadah), angkatlah kepada kalian (baca: bekerjalah!), sehingga teranglah jalan. Lalu berlombalah dalam kebaikan. Dan janganlah menjadi beban bagi kaum muslimin” (HR. Al Baihaqi dalam Syu’abul Iman).
Para lelaki kaum Muslimin tidak boleh malas bekerja, karena mereka bertanggung-jawab memenuhi nafkah keluarganya. Rasulullah Shallallahu’alaihi Wasallam bersabda:
الْمُؤْمِنُ القَوِيُّ، خَيْرٌ وَأَحَبُّ إلى اللهِ مِنَ المُؤْمِنِ الضَّعِيفِ، وفي كُلٍّ خَيْرٌ احْرِصْ علَى ما يَنْفَعُكَ، وَاسْتَعِنْ باللَّهِ وَلَا تَعْجَزْ، وإنْ أَصَابَكَ شيءٌ، فلا تَقُلْ لو أَنِّي فَعَلْتُ كانَ كَذَا وَكَذَا، وَلَكِنْ قُلْ قَدَرُ اللهِ وَما شَاءَ فَعَلَ، فإنَّ لو
تَفْتَحُ عَمَلَ الشَّيْطَانِ
“Mukmin yang kuat lebih baik dan lebih dicintai Allah daripada Mukmin yang lemah. Namun setiap Mukmin itu baik. Semangatlah pada perkara yang bermanfaat bagimu, dan mintalah pertolongan kepada Allah (dalam perkara tersebut), dan jangan malas. JIka engkau tertimpa musibah, maka jangan ucapkan: andaikan saya melalukan ini dan itu. Namun ucapkan: “qadarullah wa maa-syaa-a fa’ala (ini takdir Allah, apa yang Allah inginkan itu pasti terjadi)”. Karena ucapkan “andaikan…” itu akan membuka pintu setan” (HR. Muslim no. 2664).
10. Jarang berdoa
Padahal Rasulullah Shallallahu’alaihi Wasallam mengajarkan banyak doa-doa agar terhindar dari kefakiran. Diantaranya:
اللهُمَّ إِنِّي أَعُوذُ بِكَ مِنَ الْكُفْرِ وَالْفَقْرِ ، اللهُمَّ إِنِّي أَعُوذُ بِكَ مِنْ عَذَابِ الْقَبْرِ ، لَا إِلَهَ إِلَّا أَنْتَ
“Ya Allah, aku berlindung kepada-Mu dari kekufuran dan kefakiran… ya Allah aku berlindung kepada-Mu dari adzab kubur… tidak ada sesembahan yang haq kecuali Engkau” (HR. Abu Daud no.5092, dihasankan Al-Albani dalam Shahih Abu Daud).
Dari Abdullah bin Mas’ud radhiallahu’anhu, dari Nabi Shallallahu’alaihi Wasallam beliau biasa berdoa:
اللَّهُمَّ إِنِّي أَسْأَلُكَ الْهُدَى وَالتُّقَى وَالْعَفَافَ وَالْغِنَى
(Ya Allah, aku memohon kepada-Mu petunjuk, ketaqwaan, keterjagaan, dan kekayaan)” (HR. Muslim no. 2721, At Tirmidzi no. 3489, Ibnu Majah no. 3105, Ibnu Hibban no. 900 dan yang lainnya).
Dan doa-doa lainnya yang berasal dari Al Qur’an dan Sunnah.
Maka pembaca yang budiman, mari kita kenali dan renungkan poin-poin di atas, dan kita tumpas segera sehingga kita terbebas dari perasaan selalu miskin dan selalu kurang.
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Waspada Ustadz Gadungan Di Sosmed
Bagaimana Oknum Ustadz Bisa Terkenal?
Hendaknya kita berhati-hati dengan “oknum ustaz atau khatib yang tidak berilmu” di Youtube. Sebagian kaum muslimin mengira mereka adalah ustaz yang berilmu, padahal tidak demikian halnya. Mereka bukan ustaz yang memahami agama yang baik, seperti memahami akidah, tauhid, ilmu-ilmu ushul, Bahasa Arab dan sebagainya, atau tidak jelas dari mana mereka menuntut ilmu dan guru-gurunya. Oknum ini mudah menjadi terkenal di zaman ini dengan cara:
Sering muncul di Youtube
Membahas perkara-perkara yang menghebohkan dan menimbulkan kontroversi
Berpenampilan dengan penampilan seolah-olah orang berilmu, misalnya gamis dan jubah
Mewaspadai Bahaya Oknum Ustaz
Karena terlanjur dianggap berilmu oleh masyarakat, akhirnya oknum ini sering berfatwa tanpa ilmu. Inilah yang dimaksud dengan hadis Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam bahwa kelak nanti akan BANYAK “khatib/ustaz” akan tetapi tidak berilmu (maaf, sebagian menyebutnya tukang khutbah) dan kaum muslimin menyangka dia adalah orang yang berilmu.
Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam bersabda,
إِنَّ اللَّهَ لَا يَقْبِضُ الْعِلْمَ انْتِزَاعًا يَنْتَزِعُهُ مِنْ الْعِبَادِ وَلَكِنْ يَقْبِضُ الْعِلْمَ بِقَبْضِ الْعُلَمَاءِ حَتَّى إِذَا لَمْ يُبْقِ عَالِمًا اتَّخَذَ النَّاسُ رُءُوسًا جُهَّالًا فَسُئِلُوا فَأَفْتَوْا بِغَيْرِ عِلْمٍ فَضَلُّوا وَأَضَلُّوا
“Sesungguhnya Allah tidaklah mencabut ilmu sekaligus dari para hamba, akan tetapi Allah mencabut ilmu dengan cara mewafatkan para ulama hingga bila tidak tersisa lagi seorang ulama, maka manusia akan mengangkat pemimpin dari kalangan orang-orang bodoh, ketika mereka ditanya mereka memberi fatwa tanpa ilmu, mereka sesat dan menyesatkan.” [HR. Bukhari]
Ibnu mas’ud berkata,
وَسَيَأْتِي مِنْ بَعْدِكُمْ زَمَانٌ : قَلِيلٌ فُقَهَاؤُهُ ، كَثِيرٌ خُطَبَاؤُهُ ، كَثِيرٌ سُؤَّالُهُ ، قَلِيلٌ مُعْطُوهُ ، الْهَوَى فِيهِ قَائِدٌ لِلْعَمَلِ ، اعْلَمُوا أَنَّ حُسْنَ الْهَدْيِ ، فِي آخِرِ الزَّمَانِ ، خَيْرٌ مِنْ بَعْضِ الْعَمَلِ ”
“Sesungguhnya kalian berada pada zaman di mana banyak ahli ilmu dan sedikit pengkhutbah, sedikit yang bertanya, banyak yang mampu memberi fatwa, amalan adalah pemimpin hawa nafsu. Akan datang setelah kalian suatu zaman di mana sedikit ahli ilmu dan banyak pengkhutbah, banyak yang bertanya, sedikit yang mampu memberi fatwa, hawa nafsu adalah pemimpin ‘amalan. Ketahuilah, bahwa petunjuk yang terbaik pada masa akhir zaman itu lebih baik daripada sebagian amalan.” [Al-Adabul Mufrad no. 785]
Selektif Dalam Memilih Ustaz
Orang yang hendak kita jadikan ustaz/ulama yang akan diambil ilmunya harus jelas riwayat belajarnya yaitu riwayat belajar tauhid, aqidah, ilmu-ilmu ushul, bahasa Arab dan lain-lainnya.
Muhammad bin Sirin berkata,
ﺇﻥ ﻫﺬﺍ ﺍﻟﻌﻠﻢ ﺩﻳﻦ ﻓﺎﻧﻈﺮﻭﺍ ﻋﻤﻦ ﺗﺄﺧﺬﻭﻥ ﺩﻳﻨﻜﻢ
”Sesungguhnya ilmu ini adalah agama, maka perhatikanlah dari siapakah kalian mengambil agama kalian”. [Muqaddimah Shahih Muslim]
Seorang ulama atau ustaz juga yang membimbing manusia belajar agama juga akan membimbing dari hal-hal yang dasar seperti tauhid, akidah, akhlak dan adab. Bukan selalu membahas hal-hal yang membuat kehebohan dan hal-hal kontroversi di masyarakat. Perhatikan Firman Allah berikut,
Baca Juga: Penuntut Ilmu Menahan Komentar yang Memperkeruh Suasana
Allah berfirman,
ﻛُﻮﻧُﻮﺍ ﺭَﺑَّﺎﻧِﻴِّﻴﻦَ ﺑِﻤَﺎ ﻛُﻨْﺘُﻢْ ﺗُﻌَﻠِّﻤُﻮﻥَ ﺍﻟْﻜِﺘَﺎﺏَ ﻭَﺑِﻤَﺎ ﻛُﻨْﺘُﻢْ ﺗَﺪْﺭُﺳُﻮﻥ
“… Hendaklah kamu menjadi orang-orang Rabbaniy, karena kamu selalu mengajarkan Al-Kitab dan disebabkan kamu tetap mempelajarinya” (Al-Imran : 79)
Syaikh As-Sa’diy menjelaskan makna Rabbaniy,
علماء حكماء حلماء معلمين للناس ومربيهم، بصغار العلم قبل كباره، عاملين بذلك
“Ulama, hakim, orang yang sabar/lembut yang mengajarkan dan membimbing manusia dengan ilmu-ilmu dasar dahulu sebelum ilmu-ilmu lanjutan (advanced)” [Lihat Tafsir As-Sa’diy]
Nasehat Ali bin Abi Thalib radhiallahu’anhu
Bagi kita yang awam hendaknya perhatikan, tidak semua orang yang berbicara agama (terlebih lewat Youtube adalah orang yang benar-benar berilmu. Perhatikan perkataan Ali bin Abi Thalib berikut kepada Kumail bin Ziyad:
النَّاسُ ثَلَاثَةٌ:
[1] فَعَالِمٌ رَبَّانِيٌّ،
[2] وَمُتَعَلِّمٌ عَلَى سَبِيلِ نَجَاةٍ،
[3] وَهَمَجٌ رَعَاعٌ أَتْبَاعُ كُلِّ نَاعِقٍ،
يَمِيلُونَ مَعَ كُلِّ رِيحٍ، لَمْ يَسْتَضِيئُوا بِنُورِ الْعِلْمِ، وَلَمْ يَلْجَئُوا إِلَى رُكْنٍ وَثِيقٍ.
Manusia ada tiga golongan;
[1] ‘Alim rabbani, (ulama rabbani)
[2] Muta’allim (orang yang belajar) di atas jalan keselamatan,
[3] Orang awam yang bodoh yang mengikuti setiap orang yang bersuara.
Mereka akan condong bersama setiap hembusan angin, tidak diterangi dengan cahaya ilmu, dan tidak bersandar kepada tiang yang kokoh.” [Jami’ Bayanil Ilmi wa Fadhlihi 1878]
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Ciuman Dalam Islam
Sebagian ulama menambahkan yaitu ciuman sebagai ketaatan terhadap agama yaitu mencium batu hajar aswad.” (Raddul Mukhtar ‘alad Duril Mukhtar 6/384, Darul Fikr, Beirut)
Membahas masalah ciuman mungkin terasa tabu bagi sebagian orang, akan tetapi ada beberapa pembahasan terkait fikh ciuman. Jika untuk membahas masalah agama dan menjelaskan kebenaran, maka tidak ada rasa malu dalam hal ini. Sebagaimana ketika Ummu Sulaim ketika ingin bertanya kepada Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam ‘apakah wanita yang bermimpi basah harus mandi janabah juga?’. Awalnya Ummu Sulaim malu untuk bertanya dengan pertanyaan ini, akhirnya karena untuk bertanya kebenaran, ia memberanikan diri bertanya kepada Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam.
Ummu sulaim berkata,
يَا رَسُولَ اللَّهِ إِنَّ اللَّهَ لاَ يَسْتَحْيِي مِنَ الحَقِّ، فَهَلْ عَلَى المَرْأَةِ مِنْ غُسْلٍ إِذَا احْتَلَمَتْ؟
Wahai Rasulullah, sesungguhnya Allah tidak malu dalam menjelaskan kebenaran. Apakah wanita wajib mandi junub ketika dia bermimpi?
Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam menjawab,
نَعَمْ، إِذَا رَأَتِ المَاءَ
”Iya, apabila dia melihat air mani.”
Mendengar dialog ini, Ummu Salamah tersenyum dan keheranan, “Apa wanita juga mimpi basah?” kemudian direspon oleh Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam,
نَعَمْ، تَرِبَتْ يَمِينُكِ، فَبِمَ يُشْبِهُهَا وَلَدُهَا
“Iya, lalu ada dari mana ada kemiripan pada anaknya.”(HR. Bukhari 3328 & Muslim 313).
Terkait dengan ciuman, ada beberapa jenis dan sesuai dengan orang yang dicium. Ibnu Abidin As-Dimasyqi rahimahullah berkata,
التقبيل على خمسة أوجه: قبلة المودة للولد على الخد، وقبلة الرحمة لوالديه على الرأس، وقبلة الشفقة لأخيه على الجبهة وقبلة الشهوة لامرأته وأمته على الفم وقبلة التحية للمؤمنين على اليد وزاد بعضهم، قبلة الديانة للحجر الأسود جوهرة.
“Ciuman itu ada lima macam:
1. Ciuman cinta, yaitu ciuman kepada anak di pipinya.
2. Ciuman kasih sayang, yaitu ciuman kepada ibu dan bapak di kepalanya.
3. Ciuman sayang, yaitu ciuman kepada saudara di dahinya.
4. Ciuman birahi, yaitu ciuman kepada istri atau budak perempuan di mulutnya.
5. Ciuman penghormatan, itulah ciuman di tangan untuk orang-orang yang beriman.
Sebagian ulama menambahkan yaitu ciuman sebagai ketaatan terhadap agama yaitu mencium batu hajar aswad.” (Raddul Mukhtar ‘alad Duril Mukhtar 6/384, Darul Fikr, Beirut)
Bagaimana dengan kebiasaan sebagian kaum muslimin apabila bertemu (setelah berpisah dalam waktu yang lama) kemudian saling menempelkan pipi? Dalam Fatwa AL-Lajnah Ad-Daimah dijelaskan,
المشروع عند اللقاء السلام والمصافحة بالأيدي ، وإن كان اللقاء بعد سفر فيشرع كذلك المعانقة؛ لما ثبت عن أنس رضي الله عنه قال: (كان أصحاب النبي صلى الله عليه وسلم إذا تلاقوا تصافحوا، وإذا قدموا من سفر تعانقوا) وأما تقبيل الخدود فلا نعلم في السنة ما يدل عليه.
“Yang disyariatkan ketika bertemu adalah mengucapkan salam dan menjabat tangan, apabila pertemuan setelah dari safar dan disyariatkan juga berpelukan, karena terdapat dalil dari Anas bin Malik berkata: bahwa para sahabat Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam jika bertemu mereka saling berjabat tangan dan jika tiba dari safar mereka saling berpelukan. Adapun saling menempelkan pipi maka kami tidak mengetahui sunnah yang menunjukkan hal ini.” (Fatwa AL-Lajnah 24/128)
Perlu diperhatikan, walaupun saling menempelkan pipi tidak ada dalil yang menyatakan sunnah, akan tetapi hal ini termasuk perkara mubah yang tidak terlarang, terlebih lagi hal ini menjadi kebiasaan dan adat di antara manusia, maka tidak apa-apa apabila dilakukan bahkan semoga bisa menjadi pahala karena bisa membuat senang dan sebagai bentuk ekspresi gembira kepada saudaranya yang sudah lama tidak berjumpa.
Dalam hal terkait fikh ciuman ini, perlu juga diperhatikan mashlahat dan madharatnya. Sebuah kaidah yang perlu kita perhatikan:
درء المفاسد مقدم على جلب المصالح
“Menolak mafsadat didahulukan daripada mendatangkan mashlahat”
Prakteknya seperti ini misalnya: boleh mencium saudari kandungnya di dahinya, akan tetapi apabila saudarinya tersebut sudah baligh dan dewasa, dengan pertimbangan kadiah tersebut hendaknya kita hindari.
Demikian semoga bermanfaat
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Menjawab Al-Quran Turun Tanggal 17 Ramadhan
Allah telah menegaskan bahwa bulan Ramadhan adalah bulan diturunkannya Al-Quran.
Allah berfirman,
ﺷَﻬْﺮُ ﺭَﻣَﻀَﺎﻥَ ﺍﻟَّﺬِﻱ ﺃُﻧﺰِﻝَ ﻓِﻴﻪِ ﺍﻟْﻘُﺮْﺁﻥُ
“ Bulan Ramadhan adalah bulan yang (di dalamnya) diturunkan al-Quran …” (QS. Al-Baqarah: 185).
Sebagian kaum muslimin menyakini dengan pasti bahwa Al-Quran turun pada tanggal 17 Ramadhan. Hal ini TIDAK tepat, karena sudah sangat jelas bahwa Al-Quran itu turun pada malam lailatul qadar.
Hal ini ditegaskan dalam berbagai ayat dalam Al-Quran. Allah berfirman,
ﺇِﻧَّﺎ ﺃَﻧﺰَﻟْﻨَﺎﻩُ ﻓِﻲ ﻟَﻴْﻠَﺔِ ﺍﻟْﻘَﺪْﺭِ
“ Sesungguhnya kami menurunkan Al-Qur’an pada malam kemuliaan (Lailatu qadr).” (Al- Qadr: 1).
Al-Qurthubi menjelaskan,
إنا أنزلناه يعني القرآن
“Kami turunkan yaitu Al-Quran.” [Tafsir Al-Qurthubi]
Demikian juga firman Allah,
ﺇِﻧَّﺎ ﺃَﻧﺰَﻟْﻨَﺎﻩُ ﻓِﻲ ﻟَﻴْﻠَﺔٍ ﻣُّﺒَﺎﺭَﻛَﺔٍۚ ﺇِﻧَّﺎ ﻛُﻨَّﺎ ﻣُﻨﺬِﺭِﻳﻦَ
“ Sesungguhnya Kami menurunkan al-Quran pada malam yang diberkahi, sungguh Kamilah yang memberi peringatan. ” (Ad-Dukhan:3).
Al-Qurthubi menjelaskan ayat ini,
إنا أنزلناه في ليلة مباركة ، يريد : في ليلة القدر
“Sungguh Kami turunkan pada ‘malam yang diberkahi’ yaitu malam lailatul qadar”.[Tafsir Al-Qurthubi]
Setelah kita mengetahui bahwa turunnya Al-Quran pada malam lailatul qadar, maka kita perlu melihat nash-nash yang menjelaskan kapan malam lailatul qadar
Hadits yang sudah terkenal yaitu malam lailatul qadar sangat besar kemungkinan turun pada 10 malam terakhir Ramadhan yaitu tanggal 20 ke atas di bulan Ramadhan, sehingga apabila meyakini dengan PASTI turunnya Al-Quran pada tanggal 17 Ramadhan tentu tidak tepat.
Rasulullahu shallallahu ‘alaihi wa sallam bersabda,
تحروا (و في روية: التمسوا) ليلة لقدر في (الوتر من) العشر الأواخر من رمضان
“Carilah malam lailatul qadar di (malam ganjil) pada 10 hari terakhir bulan Ramadhan.” [HR. Bukhari dan Muslim]
Bahkan dalam hadits lainnya kemungkinan malam lailatul qadar pada tujuh malam terakhir yaitu tanggal 22 Ramadhan ke atas.
Rasulullah shallallaahu ‘alaihi wa sallam bersabda,
التمسوها في العشر الأواخر فأن ضعف أحدكم فلا يغلبن على السبع البواقى
“Carilah di sepuluh malam terakhir, apabila tidak mampu maka jangan sampai terluput tujuh malam tersisa.” [HR. Bukhari & Muslim]
Dalam hadits-hadits lainnya dijelaskan bahwa lailatul qadar ada kemungkinan turun pada hari 25 dan 27 Ramadhan.
Sahabat Ubay bin Ka’ab pernah berkata,
وَ وَاللَّهِ إِنِّي لَأَعْلَمُ أَيُّ لَيْلَةٍ هِيَ هِيَ اللَّيْلَةُ الَّتِي أَمَرَنَا بِهَا رَسُولُ اللَّهِ ع بِقِيَامِهَا هِيَ لَيْلَةُ صَبِيحَةِ سَبْعٍ وَعِشْرِينَ
“Demi Allah aku tahu kapan malam itu, yaitu malam yang kita diperintah Rasulullah untuk menghidupkannya, yaitu malam kedua puluh tujuh” [HR. Muslim]
Rasulullah shallallaahu ‘alaihi wa sallam bersabda,
الْتَمِسُوهَا فِي الْعَشْرِ الْأَوَاخِرِ مِنْ رَمَضَانَ لَيْلَةَ الْقَدْرِ فِي تَاسِعَةٍ تَبْقَى فِي سَابِعَةٍ تَبْقَى فِي خَامِسَةٍ تَبْقَى
“Carilah malam lailatul qadar pada sepuluh hari terakhir bulan Ramadhan. Pada malam kedua puluh Sembilan, kedua puluh tujuh, kedua puluh lima”. [HR. Bukhari]
Demikian semoga bermanfaat
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Jangan Mencela Makananmu
Momen bulan ramadhan ini kita pasti akan sangat sering berhadapan dengan makanan dan minuman terutama saat berbuka dan sahur
Tapi tiap orang punya selera yang berbeda-beda dalam hal makanan dan minuman
Ada yang suka makanan pedas, manis, kecut, asin, berkuah dan lainnya
Diantara perbedaan selera makan tersebut, jangan sampai kita melakukan hal-hal yang kurang memperhatikan adab makan
Jangan mencela Makanan
Kalau tidak suka, Tinggalkan
Dari Abu Hazim dari Abu Hurairah ia berkata:
Nabi ﷺ Tidak Pernah Mencela Makanan sekali pun. Bila beliau berselera, maka beliau memakannya dan bila tidak suka, maka beliau meninggalkannya” (HR. Bukhari)
Namun tidak mengapa jika memberi kritikan pada yang masak, misalnya dengan berkata, “Hari ini masakanmu terlalu banyak garam, terlalu pedas atau semacam itu.” Yang disebutkan ini bukan maksud menjelakkan makanan, namun hanyalah masukan biar dapat diperbaiki
Dan jangan lupa untuk mensyukuri nikmat berupa makanan minuman yang tengah kau nikmati saat ini, karena betapa banyak saudara kita diluar sana yang ingin makan seperti makanan minuman yang tengah kau nikmati saat ini
Syukuri apa yang ada .
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Fakta Pahlawan Perang Uhud
Mengenal Anas bin Nadhar Pahlawan Perang Uhud
Nasab dan Kabilahnya
Orang Arab sangat memperhatikan nasab mereka. Bagi mereka mengetahui asal-usul pribadi dan silsilah keluarga sangatlah penting. Berbeda dengan tradisi di negeri kita, mengetahui bibit, bebet, dan bobot seseorang hanya diperhatikan ketika hendak mencari pasangan. Oleh sebab itu, orang-orang Arab tidak pernah bertanya asal daerah, tapi yang mereka tanyakan adalah nasab.
Karena itulah, ketika membahas biografi seorang sahabat, penting pula bagi kita mengetahui nasabnya. Sahabat Anas bin an-Nadhar adalah Abu Amr Anas bin Nadhar bin Dakhm an-Najjari al-Khazraji al-Anshari. Beliau merupakan paman dari Anas bin Malik radhiallahu ‘anhu, khadim Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam.
Dari nasab Anas kita mengetahui bahwa ia masih memiliki kekerabatan dengan Nabi. Karena buyut Nabi yang bernama Hasyim menikahi seorang wanita dari Bani Najjar dan lahirlah kakek beliau Syaibatul Hamd atau yang kita kenal dengan laqob Abdul Muthalib.
Memeluk Islam
Anas bin Nadhar radhiallahu ‘anhu memeluk Islam setalah Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam tiba di Madinah. Dan ia termasuk seorang yang dipuji oleh Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam.
Menyertai Rasulullah Dalam Perang Uhud
Anas bin Malik radhiallahu ‘anhu berkisah:
Pamanku, Anas bin an-Nadhar, tidak turut serta bersama Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam dalam Perang Badar. Ia pun berkata kepadaku, “Aku luput dari perang pertama yang dilakoni Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam. Sekiranya Allah mengizinkanku nanti untuk turut berperang bersama Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam, Allah akan melihat apa yang akan kulakukan”. Ia takut berkata lebih dari itu.
Kemudian ia pun turut berperang bersama Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam dalam Perang Uhud di tahun berikutnya (setelah Perang Badar). Saad bin Muadz radhiallahu ‘anhu datang menemuinya dan berkata, “Wahai Abu Amr hendak kemana?” tanya Saad. Anas menjawab, “Ini dia kurasakan harum angin surga di balik Uhud”. Ia pun berperang hingga syahid di medan Uhud.
Saat ditemukan jasadnya, terdapat 80-an sobekan luka. Tusukan tombak dan bekas anak panah yang menancap. Kata Anas bin Malik, “Bibiku, ar-Rubai’ binti an-Nadhar berkata, ‘Aku hampir tidak mengenali saudaraku kecuali melalui ruas-ruas jarinya’.”
Peranannya
Dalam riwayat al-Bukhari dari Anas bin Malik radhiallahu ‘anhu, ia berkata, “Kami memandang ayat ini turun tentang Anas bin an-Nadhar:
مِنَ الْمُؤْمِنِينَ رِجَالٌ صَدَقُوا مَا عَاهَدُوا اللَّهَ عَلَيْهِ فَمِنْهُم مَّن قَضَى نَحْبَهُ وَمِنْهُم مَّن يَنتَظِرُ وَمَا بَدَّلُوا تَبْدِيلاً
“Di antara orang-orang mukmin itu ada orang-orang yang menepati apa yang telah mereka janjikan kepada Allah; maka di antara mereka ada yang gugur. Dan di antara mereka ada (pula) yang menunggu-nunggu dan mereka tidak merubah (janjinya).” [Quran Al-Ahzab: 23]
Diriwayatkan juga oleh al-Bukhari dari Anas bahwasanya bibinya Rubai’ binti an Nadhar mematahkan gigi seri seorang gadis. Dari keluarga Rubai’ meminta diyat dan maaf sedangkan keluarga gadis itu keberatan. Mereka pergi mendatangi Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam. Nabi memerintahkan mereka untuk melaksanakan qishash. Anas bin an-Nadhar berkata, “Apakah harus dipatahkan gigi Rubai’ wahai Rasulullah? Tidak demi Allah yang telah mengutus Anda dengan benar, janganlah patahkan giginya.” Rasulullah bersabda, “Hai Anas, menurut kitabullah adalah qishash.” Akhirnya keluarga gadis merelakan dan memberi maaf. Maka Nabi pun bersabda, “Sesungguhnya di antara hamba Allah ada orang yang jika bersumpah atas nama Allah, Allah menerimnya.”
Dari Al-Fazari dari Humaid dari Anas terdapat tambahan “Keluarga perempuan tersebut ridha dan menerima diyatnya.”
Kepahlawanan di Perang Uhud
Saat Perang Uhud tengah berkecamuk, tersebar berita bahwa Nabi shallallahu ‘alaihi wa sallam gugur. Beliau terbunuh dalam peperangan. Anas bin an-Nadhar terus berperang. Ia melihat Umar dan beberapa orang bersamanya sedang terduduk. Ia berkata, “Kenapa kalian duduk (bersedih)?” Mereka menjawab, “Rasulullah shallallahu ‘alaihi wa sallam telah terbunuh.”
“Jika begitu, apalagi yang akan kalian perbuat mengisi hidup setelah beliau wafat? Berdirilah! Gugurlah dengan cara beliau meninggalkan dunia!” Kata Anas membakar semangat para sahabat. Kemudian Anas menghunuskan pedangnya hingga ia gugur dalam Perang Uhud.
Wafat
Anas bin an-Nadhar radhiallahu ‘anhu syahid di medan Perang Uhud. Tubuhnya berselimut luka. Setidaknya ada 80-an luka dari sabetan pedang, tusukan tombak dan anak panah. Saking banyak luka di tubuhnya, jasadnya sulit dikenali. Hanya saudarinya, Rubai’, yang mengenalinya melalui ruas-ruas jarinya.
Semoga Allah meridhai beliau, sahabat yang mulia, Anas bin an-Nadhar radhiallahu ‘anhu.
Bacaan Alquran Bersatu
Setelah Umar bin al-Khattab wafat, tiga malam berikutnya Utsman bin Affan dibaiat menggantikannya. Baiat itu terjadi pada tahun 24 H. Laki-laki yang malaikat pun malu padanya ini berhasil memperluas wilayah kekhilafahan Islam. Pemeluk Islam kian bertambah jumlahnya. Generasi baru muncul mengganti ayah-ayah mereka. Waktu terus berjalan, menderap langkah peradaban, dan masa kenabian pun kian menjauh.
Penduduk wilayah kekhalifahan belajar mebaca Alquran dari sahabat Nabi yang tinggal bersama mereka. Orang-orang Syam membacanya dengan qiraat Ubay bin Ka’ab radhiallahu ‘anhu. Penduduk Irak berbeda lagi. Mereka membaca dengan qiraat Abdullah bin Mas’ud radhiallahu ‘anhu. Adapun selain mereka, Alquran dibaca dengan qiraat Abi Musa al-Asy’ari, radhiallahu ‘anhum ajma’in (Jam’u Alquran al-Karim Hifzhan wa Kitabatan oleh Ali bin Sulaiman al-Ubaid).
Masing-masing sahabat memiliki bacaan sesuai riwayat yang mereka pegangi dari Rasulullah ﷺ. Karena luasnya daerah, banyaknya umat secara jumlah, perbedaan bacaan pun kian meluas. Mereka yang awam, tidak tahu ada riwayat selain dari yang mereka baca. Ditambah keterbatasan sarana informasi, menyebabkan penyebaran ilmu tidak semasif masa kini. Jangan bayangkan tiap daerah tahu apa yang terjadi di daerah lainnya seperti saat ini, ada internet dan telivisi. Berita hanya tersebar dari musafir dari mulut ke mulut. Akhirnya perselisihan qiraat memunculkan fitnah dan perpecahan.
Sebab Ditetapkannya Kebijakan
Penyebab utama penyeragaman bacaan Alquran di zaman Utsman bin Affan radhiallahu ‘anhu adalah perbedaan bacaan yang menjurus pada saling menyalahkan antara kaum muslimin. Utsman pun mengambil kebijakan menyatukan suara umat. Ia memutuskan adanya satu mushhaf yang sama.
Bermula dari kabar sahabat Hudzaifah bin al-Yaman radhiallahu ‘anhu yang datang dari wilayah Azerbaijan dan Armenia. Ia menemui penduduk Syam dan Irak yang berselisih karena bacaan Alquran. Hudzaifah khawatir timbul fitnah dan masalah dari hal ini. Ia berkata, “Wahai Amirul Mukminin, aku jumpai umat ini berselisih dalam permasalahan al-Kitab (Alquran), sebagaimana orang-orang Yahudi dan Nasrani berselisih (di antara mereka)”.
Diriwayatkan Ibnu Abi Dawud dari Qilabah, ia berkata, “Pada masa kekhalifahan Utsman, ia mengangkat seorang pengajar qiraat (bacaan Alquran) dan seorang lainnya untuk mengajarkan qiraat pula. Kemudian dua orang pemuda (pelajar qiraat) bertemu dan berselisih tentang bacaan mereka. Hingga permsalahan ini sampai kepada para guru. Ayub mengatakan, ‘Yang aku ketahui, sampai-sampai mereka saling mengkafirkan karena bacaan Alquran (yang asing menurut mereka)’.”
Keseriusan kisruh perbedaan bacaan Alquran saat itu bisa sedikit tergambar di benak kita dengan peristiwa yang baru-baru saja terjadi. Tentang bacaan Alquran langgam Jawa. Inisiatif mentri agama, Lukman Hakim Saifuddin, membaca Alquran dengan lagu macapat sempat membuat tegang suasana yang awalnya biasa. Keputusannya memicu pro dan kontra. Dan tentu saja meramaikan sosial media. Nah bagaimana pula dengan persitiwa perbedaan bacaan Alquran di zaman Utsman. Tentu lebih besar dan lebih berpotensi menimbulkan konflik di masyarakat.
Di tengah kisruh tersebut, Utsman mengeluarkan kebijakan yang berhasil membuat suasana reda dan tenang. Utsman mengumpulkan tokoh-tokoh sahabat Rasulullah ﷺ. Berdiskusi bersama mereka. mencari solusi atas peristiwa besar yang sedang mereka hadapi. Akhirnya keluarlah kebijakan untuk menyeragamkan bacaan Alquran. Ditetapkanlah satu qiraat (bacaan) yang jadi sandaran untuk umat. Kemudian qiraat tersebut ditulis dan disebarkan ke seluruh wilayah Islam. Tidak hanya itu, Utsman menutup celah perselisihan dengan membakar mush-haf yang berbeda (Kitab al-Mashahif. 1/211-214).
Kebijakan yang diambil Utsman ini adalah keputusan yang luar biasa. Sikap yang beliau ambil mampu menenangkan. Bukan malah menghangatkan suasana dan menimbulkan perpecahan. Ibnu Abi Dawud meriwayatkan bahwa Ali bin Abi Thalib berkata, “Janganlah kalian berlebihan dalam menyikapi (kebijakan) Utsman. Jangan kalian membicarakan dia, kecuali yang baik-baik saja. Demi Allah, apa yang ia lakukan terhadap mush-haf Alquran diputuskan setelah bermusyawarah dengan kami (para sahabat)”.
Ali melanjutkan, Utsman bertanya kepada kami, “Apa pendapat kalian tentang perselisihan bacaan ini? Sungguh sampai kabar kepadaku orang-orang mengatakan, ‘Qiraatku lebih baik dari qiraat yang kau baca’… …Kami pun menyerahkan kepadanya dengan bertanya, “Bagaimana solusimu?” Utsman menjawab, “Menurutku kita perlu mempersatukan bacaan dalam satu mush-haf yang seragam. Sehingga tidak ada kelompok-kelompok. Tidak ada perselisihan”. Kami menanggapi, “Alangkah bagus solusi itu”. Ali menegaskan, “Demi Allah, seandainya aku menjadi khalifah, akan aku lakukan seperti yang dilakukan Utsman”.
Petugas Penulis Alquran
Utman bin Affan radhiallahu ‘anhu membentuk satu tim ahli untuk melaksanakan tugas penulisan Alquran. Sebuah tugas berat karena apa yang mereka tulis akan dibaca milyaran manusia sampai hari kiamat.
Ada yang mengatakan para petugas tersebut tergabung dalam tim 5: Zaid bin Tsabit, Abdullah bin az-Zubair, Abdullah bin al-Abbas, Abdullah bin Amr bin al-Ash, dan Abdurrahman bin al-Harits. Ada pula yang menyatakan 12 orang. Mereka dari Quraisy dan Anshar. Termasuk di antaranya Ubay bin Ka’ab. Sedangkan mayoritas ulama berpendapat, mereka adalah tim 4. Yang terdiri dari: Zaid bin Tsabit dari Anshar. Kemudian Abdullah bin az-Zubair, Said bin al-Alsh, dan Abdurrahman bin al-Harits bin Hisyam. Tiga nama terakhir adalah Quraisy.
Ibnu Hajar mengatakan, “Peristiwa tersebut terjadi di akhir tahun 24 H hingga awal tahun 25 H. Itulah waktu yang disebutkan oleh para sejarawan. Tahun dimana dibebaskannya Armenia. Namun Ibnu al-Jarir dan Ibnu al-Atsir memiliki pendapat berbeda. Menurut mereka peristiwa penyatuan bacaan (al-jam’u al-utsmani) terjadi pada tahun 30 H. Pendapat pertamalah yang lebih tepat”. (al-Mashahif, 1/205,217,220).
Metode Penyusunan Mush-haf
Langkah pertama yang dilakukan Utsman bin Affan dalam penulisan Alquran adalah mengutus seseorang kepada Ummul Mukminin Hafshah binti Umar bin al-Khattab radhiallahu ‘anha. Ia meminta sebuah mush-haf Alquran yang dibukukan di zaman Abu Bakar. Tim penulis pun menjadikan mush-haf tersebut sebagai acuan dalam menjalankan tugas. Kemudian mereka menulis ulang berdasarkan perintah Utsman.
Utsman berkata kepada tiga orang penulis Quraisy. “Jika kalian berbeda pendapat dengan Zaid bin Tsabit dalam hal apapun pada Alquran, maka tulislah dengan lisan Quraisy. Karena Alquran diturunkan dengan lisan Quraisy”.
Az-Zuhri mengatakan, “Mereka berbeda pendapat dalam at-Taabuut atau at-Taabuuh (التابوت والتابوة). Para penulis Quraisy berpendapat at-Taabuut. Sedangkan Zaid memilih at-Taabuuh. Perbedaan ini sampai kepada Utsman. Lalu Utsman memerintahkan, ‘Tulislah at-Taabuut. Karena ia turun dengan lisannya Quraisy’.” (Riwayat at-Bukhari, Fadha-il Alquran, 4604).
Hanya dalam kata ini saja mereka berselisih. Mereka berselisih apakah ditulis dengan ta’ maftuhah atau ta’ marbuthah.
Setelah penulisan selesai, Amirul Mukminin Utsmani bin Affan mengirimkannya ke wilayah-wilayah kekhalifahan. Menariknya, bersama mush-haf baru tersebut ia utus seseorang yang memiliki bacaan yang sama dengan mayoritas bacaan penduduk setempat. Kemudian orang tersebut mengajarkan penduduk wilayah itu.
Kemudian Utsman memerintahkan agar mush-haf yang berbeda dihilangkan dengan cara dibakar. Sehingga akar-akar perselisihan dalam permasalahan Alquran benar-benar bersih tercabuti. Para sahabat pun menyetujui kebijakan Utsman. Sebagaimana ucapan Ali bin Abi Thalib, “Demi Allah, seandainya aku menjadi khalifah, akan aku lakukan seperti yang dilakukan Utsman”.
Mush-haf dikumpulkan kemudian dibakar atau dicuci dengan air sampai tinta-tintanya luntur (Manahilu Irfan, 1/259, 261).
Dalam riwayat Imam al-Bukhari dijelaskan. Setelah penulisan mush-haf selesai, Utsman mengembalikan mush-haf rujukan kepada Hafshah. Kemudian mengirimkan mush-haf yang baru ke seluruh wilayah kekuasaan. Ia juga memerintahkan agar selain mush-haf baru dibakar. Sehingga masyarakat kaum muslimin bersatu dalam mush-haf utsmani. Melihat persatuan umat, Abdullah bin Mas’ud radhiallahu ‘anhu yang awalnya menolak mush-haf utsmani dan tidak mau membakar mush-hafnya, pun berubah pikiran. Ia mengakui kesalahan pandangannya. Kemudian turut melakukan hal yang sama dengan masyarakat. Umat pun bersatu padu (Riwayat al-Bukhari dalam Fadha-il Alquran, 4604).
Kebijakan yang dilakukan Utsmani bin Affan radhiallahu ‘anhu dalam menyatukan bacaan Alquran adalah kebijakan cerdas, berani, dan tepat. Sampai sekarang kita merasakan bagaimana Alquran yang beliau susun begitu universal. Menembus sekat-sekat kesukuan, wilayah, dan bahasa. Melapangkan dada kaum muslimin di segala penjuru dunia. Tidak menimbulkan kecemburuan. Persatuan pun terwujud dan hati-hati manusia menjadi lapang.
Apa yang Utsman tetapkan mampu diterima seluruh kaum muslimin. Padahal sebelumnya mereka memiliki bacaan yang berbeda. Inilah jiwa kepemimpinan sejati. Ia mempersatukan umat yang sebelumnya terpecah. Bukan malah mengeluarkan kebijakan yang memanaskan suasana di tengah-tengah ketanangan dan persatuan umat.
Jumlah Mush-haf Utsmani Pertama Kali
Setelah menyelesaikan penulisan ulang Alquran, Utsman memerintahkan agar mush-haf baru tersebut dikirim ke daerah-daerah kekhalifahan. Para ulama berbeda pendapat berapa jumlah mush-haf yang ditulis Utsman. Pendapat yang masyhur menyebutkan bahwa mush-haf Alquran diperbanyak menjadi lima. Dikirim ke Mekah, Madinah, Kufah, Syam, dan satu lagi dipegang oleh beliau sendiri. Itulah yang dikenal dengan mush-haf al-imam.
Abu Amr ad-Dani mengatakan, “Kebanyakan ulama menyatakan bahwa mush-haf tersebut berjumlah empat. Dikirim menuju Kufah, Bashrah, dan Syam. Kemudian satu lagi Utsman sendiri yang memegangnya”.
Ibnu Abi Dawud mengatakan, “Aku mendengar Abu Hatim as-Sajistani berkata, ‘Saat Utsman menulis ulang Alquran pada peristiwa jam’ul Quran, ia memperbanyak mush-haf menjadi tujuh. Dikirim ke Mekah, Syam, Yaman, Bahrain, Bashrah, Kufah, dan satu lagi tetap di Madinah.
Pendapat yang paling kuat menyatakan bahwa Alquran tersebut digandakan menjadi enam. Empat di antaranya dikirim ke Mekah, Syam, Kufah, dan Bashrah. Satu mush-haf tetap di Madinah. Mush-haf itu dinamakan al-Madani al-‘Aam. Dan satu lagi Utsman sendiri yang memegangnya. Mush-haf ini disebut al-Madani al-Khaas atau al-Mush-haf al-Imam (al-Itqan, 1/189).
Pelajaran Dari Peristiwa Ja’ul Quran
– Seorang pemimpin hendaknya mengeluarkan kebijakan yang mempersatukan umat di kala mereka berpecah belah. Bukan sebaliknya memanaskan dan memecah umat saat kondisi mereka tenang.
– Mush-haf Utsmani menjadi jalan tengah dan pemersatu.
– Pemerintah mengawasi dan menyebarkan mush-haf Alquran.
– Solusi memusnahkan ayat Alquran yang terdapat dalam Alquran yang sudah lusuh tidak terpakai, atau tulisan-tulisan di buku dan kertas adalah dengan cara dibakar seperti apa yang dilakukan Utsman dan disepakati sahabat yang lain. Sehingga ayat Alquran tidak dihinakan dengan dibuang di tempat sampah. Atau dijadikan bungkus dan alas-alas sesuatu yang tidak sesuai dengan kemuliaannya.






























































































































































































































































































